色々ガチャガチャしたい

就活おわった23卒.Amazonアソシエイト参加中

フィルターバブルによって起こる情報格差と分断

 インターネットによって自分が知りたい情報がすぐに知ることができるようになった。それに伴って検索する前に自分の好みに合った情報が表示される仕組みまでできている。個人に最適化された情報提供のシステムはとても便利だが、その一方で他の情報に無関心になってしまう。

 他者と広い交流がある場合は情報の交換が行われる。自分が偏った視点で物事を語っていないかどうかを確かめられる。しかし、まともな交流がない人間にはその機会も与えられない。その結果、自身の思考や振る舞いを改めて見直すことができず、徐々になじめぬ存在として弾かれてしまう。

 最適化された情報しか目に入らず、都合の悪い情報が排除されることをフィルターバブルというらしい。どんなことでも知ることができていると感じているが、その実、狭い範囲の事にしか目が行っていないのである。

 その様な状態で急に新しい情報を目にするとどうなるか。事実であるかどうかの判断すら危うい。一つ一つ情報源をあたって正しさを判断するための手間と時間をかける人は多くはない。

 自分にとって都合の悪い情報が排除され、絶対的な正しさだけが残る。根拠が全くないデマや誤情報であっても、関連する情報が次々に表示されることになる。

 思うに、反ワクチンというのはこのような流れで生まれ、維持されているのではないだろうか。SNSで同じ主張をするものと繋がり、閉鎖環境で同じ主張を繰り返すことでよりその意識が強化されていく。

 一度正しいと判断してしまったものを疑うことは難しい。カルト宗教と同じである。いかなる根拠を示しても、だますための方策としか受け止められない。