祖父の話 戦後の話
現在八十歳も半ばの祖父から聞いた話を備忘録的に。
当時は学校を卒業をしてから丁稚奉公をしていた。
働いていたのは名古屋の矢場町のあたり。
問屋で働いていて、自転車で商品を運んでいた。
当時は物が殆ど無かった。ソフトボールが入荷したときはすぐに卸に運んでいった。グローブは全然入らず、入ってもすぐなくなった。とにかくものがなかった。
住むところとご飯付きで、毎週日曜日に500円を貰っていたそう。
月2000から2500円ほどの収入。
月に一回、日曜日に実家に帰っていた。当時は鉄道がそこまで通じていなかったのか、遠い駅から歩いていたらしい。
百姓をやっていたので、家に帰ると手伝っていた。
家から仕事場に戻るときは、親から米を持たされた。会社の人に喜ばれたらしい。
土日も働くこともあったようで、今よりも忙しそうだと思うなどした。